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日语毕业论文范文(化妆看日本人审美意识)

更新时间:2018-11-17来源:www.eeelw.com 责任编辑:三亿论文网

 はじめに

 

 現代女性にとって化粧は非常に関心を引かれるものである。私たち就職活動をする女子学生にとって、身だしなみを整えることは、さらに重要視されているようである。化粧には確かに人を魅了してやまない、何か不思議な力を持っていると思う。ここ数年来、私はずっとそう感じてきた。

 では、なぜ、人間がこんなふうに化粧を大事にするようになってきたのか。そして、化粧を文化的に見てみたら、どうなるのか。そんな次々にわき起こる小さな疑問を抱えて、化粧というものについて少し調べてみると、実に興味深いことがいくつも見えてきた。化粧分野には、各社会にそれを支え、受け入れる美意識、文化があり、そして化粧によって生じられた様々な効用があるようだ。やはり、化粧というものはおもしろい。

 私達が現世に生まれ生きていく過程の中で、誰もが美しいものへの憧れ、美意識を持っていると思う。美意識にはまず文化的要素が含まれており、何を美とするかという、いわゆる植え付けである。例えば、なぜ花を美しいと感じるか、これを説明するのは難しいであろうが、なんだか私はそう思う。これは自然発生的なものではなく、その集団内にある「通則的な概念意識としての美」が個人に美意識の元を与えることから、見方が出来上がると思う。一口で語ることはできないだが、社会や環境というものを抜きにしては成り立たない概念であるとは認識している。

 今までの研究は化粧を研究テーマに決め、様々な角度から紹介したものが多かったのであるが、私は、この論文で「社会」を切り口にし、化粧から日本人の美意識を検討してみようと思う。

 ここでは、日本人の化粧の歴史的な変遷を辿り、どのような過程で現在の化粧文化が築きあげられてきたのか、そしてまた、日本人は今どんな美意識を求めようとしているか、職、性別などによってその美意識はどう違うか、わが中国人の美意識とはどう違うかについて検討してみようとすることにした。

 

本  論

 

第一章 化粧について

 化粧について考察してみるにあたって、まず、「化粧」というものの定義を見てみよう。

1.1 化粧の定義

 広辞苑に「化粧」を引いてみると、次のように出ている。

 け‐しょう【化粧・仮粧】

 ① 紅・白粉(おしろい)などをつけて顔をよそおい飾ること。美しく見えるよう、表面を磨いたり飾ったりすること。おつくり。けそう。

 ② (名詞に冠して)美しく飾った、体裁をつくろった、形式的な、などの意を表す語。

 おそらく、この広辞苑の①にあるような、顔を美しく見せようと飾ること、というのが、化粧の狭義であり、一般的な社会的認識であると言えよう。

 本章及び次章で言及するところの「化粧」は、この狭義の「化粧」についてである。

1.2 「社会」から化粧の認識

 村澤博人は、化粧とは、基本的に「ある集団=社会がもつ美意識に基づいて顔やからだに意図的に手を加えて、外見的にも内面的にもそれまでの自分とは異なる自分になろうとするための行為」[57]だと定義している。

 化粧には、それによって、視覚的に顔や体の持つメッセージ性を変更し、それを社会の構成員としての相手に伝える作用があるというのである。

 こうした化粧の作用は、しばしば実感をともなって化粧をしている私たちには感じられる。

 たとえば、その時代の流行の化粧をすることで、各時代・各社会が化粧する女性に対して抱いている「理想」に近づく用意がある。その気持ちになったり、社会の側からも、自分は「流行に敏感な女性」として見られているのだと、実感する。

 それにあたって、まず次の章節では、日本における化粧の歴史を見てみよう。

 

 

第二章 日本化粧の発展と美意識

次では、『顔の文化誌』を主な参考に、古代化粧の発展から、近代、現代2000年代までの日本における化粧の歴史について、概観してみる。

2.1古代化粧の発展と日本人の儀礼的な美意識

 化粧の文化は、文字資料の無い縄文・弥生時代においても、埋葬された人骨を資料に化粧を紐解くと、見て取ることができる。文献として化粧が記述されるのは、『日本書紀』の上代にはすでに、顔に赤土を塗る風習があったことが記されている。そして、以後遣唐使が廃止されて国風文化が誕生する平安半ばまで、当時の隋や唐の影響を受けた美意識が、日本国内に発達していく。

 その中でも『古事記』『日本書紀』『万葉集』などの書物には「眉画き」「眉引き」という言葉が記されて、三日月や柳の葉にたとえられ、すでに眉の形を整える美意識があった。当時すでに眉の有無、またはその形で身分階級を表現していたのだ。眉は、その後も時代とともに変化し、顔の美意識の中で最も重要視されている。

 ここから見ても、眉の形を整える美意識が、大陸文化の影響を受けて根づいてきたことがわかる。

 その他に、白い肌を好む美意識も、『日本書紀』の中に、白粉に関する記述があるなど、大陸文化の影響を受けて、この頃から発達し始めたとされる。また、化粧をするのは貴族階級のみとされ、絵画では貴族やその周辺の男女については顔を白く描き、一般の武士や庶民の顔は普通の肌色で塗っている。

 つまり、化粧の起源というのは古代の化粧は身分の差も表すものとして機能するようになった。

 日本の歴史を踏まえた上で、現代日本人にも通ずる、日本人の深層に根づく特有の美意識を探ると、平安時代に発達した貴族社会の中に、そのルーツを見出せる、と村澤博人は言う。そして、この美意識のことを、「顔隠しの文化」と呼ぶ。

次にもう少し詳細に、「顔隠しの文化」について探ってみたい。

2.1.1「顔を隠す」化粧とは

 平安時代に発達した貴族社会の中で、化粧においても、白粉や頬紅、お歯黒、眉化粧が貴族階級の中で発達していた。そして、この時代の特徴として挙げられるのが、「中高」という美の基準と、「顔隠しの文化」の存在であると、村瀬は『顔の文化誌』で指摘する。

 「中高」は、正面から見て真ん中、すなわち鼻が高いという意味で、当時はそうした特徴を持つ者が、美人とされていた。

 「顔隠しの文化」は、文字通り顔を隠すことを教養とする文化のことで、垂髪の額髪を耳に挟むことははしたないとされ、人前でやたら顔を顕わにするものでない、という美意識の発達を促した。

2.1.2「顔を隠す」というのはなぜか

 平安時代の貴族社会においては、男女でお互いが顔を知り合っているというのは、特別な関係であるということを暗示した。

 また、外出時には被きや垂れ衣などで子を覆うのが当たり前であるとされていた。

 こうした社会では、顔を無闇に見せないことが美とされ、たとえば「耳挟み」と呼ばれる、垂髪野女性が動作しやすいように、顔の前髪を耳に挟んで後方に掻きやる動作でさえ、貴族の子女にとってはたしなみに欠けるとして敬遠されていた。

 これが、近世に入って、髪を結い上げるようになると、顔が露出するようになり、その結果、武家の女性は人前では化粧をして素顔を見せないという「隠す」ことが美とされるようになっていった。

 ほかにも、平安時代に貴族の女性の成女式から始まったといわれる眉を落とす化粧は、江戸時代には一般女性が結婚して子供ができると剃る風習へと変化する。それは感情によって動かされる眉の存在の否定、すなわち、感情を隠すのに役立ったとも言い換えられると思う。

 また、歯を黒く染めるお歯黒も、白い歯を目立たなくすることで、口元を隠す風習に通じる行為と解釈できる。

 このような、素顔を見せない、あるいは内面の感情を表すのは良くないとした武家の規範的な美意識が、明治以降、政府によって国民文化の中心に根を下ろされたことで、国民一般のものとなっていた。

 こうした美意識が、「隠す」化粧と「見せる」化粧を生んだと考えられる。

 そして、近代日本人はどんな美意識を求めようとしているか。次の節で検証していきたい。

 

2.2近代化粧の発展と日本人の健康的な美意識

 

 明治に入ると、西欧の美意識が日本の文化に浸透し始め、日本人の外見も少しずつ欧米化していく。

 欧米流の化粧法が取り入れられたことで、「図1」と「図2」のようにそれまでのお歯黒や眉剃りがなくなったことは、化粧史にとってかなり大きな転換であったと思う。西洋化は、それまでの伝統や慣習を廃止したことも多く、それが良かったことなのかどうか判断は出来ないが、しかし今回のお歯黒・眉剃りがもし廃止されていなかったら、もしかしたら日本人も、お歯黒などをしていたかもしれない。想像してみると、笑ってしまうようなことだが、それは当時の人々にとっては普通のことであった。どういうものを美しいと感じ、どういうものを醜いと感じるのかは、その時代や社会における人々の考えで変わるものなのだろう。

 白粉は、欧米由来の肌色の粉を塗布する習慣となり、「図3」のように自分の肌色に合った粉を顔に塗るようになる。

 口紅には、練り紅[58]や水紅[59]が用いられ、頬紅も大正時代に健康美を表す化粧法として使用され始めた。

 当時はまだ口紅は点すもので、塗るという意識は無く、この「塗る」という意識が定着するのは、第二次世界大戦後しばらくしてからのことであろう。

 しかし、とは言ってもこの時代の基本的な化粧やマナーに対する美意識は、まだまだ前の時代に武家社会が持っていた価値観を受け継いでおり、それが大衆化していったことが、特徴的な時代であった。

 そして、1950年から現在までの流行メイクはどのように変わり、変化しているのだろうか。次の節で検討してみる。

2.3現代化粧の発展と日本人の個性的、自然的な美意識

 続いて、現代に入ると、化粧が、社会の強制ではなくなり、より自由に、本人の意思に基づいて、自分を表現する一つの有効な手段として使われていき、顔の表現が、素顔から個性追求の化粧にまで、広がっていった。

 現代日本における化粧文化の発展は、化粧の歴史的にも非常に特殊なほど化粧が浸透した時代であり、かつ、その内容についても、変化が著しい。

 そのため、現代については、年代を10年ごとに区切って詳しく見ていこうと思う。

 1950年代には、明るく血色が良く見える肌色が重視され、ピンク系のファンデーション、真っ赤な口紅などが流行した。アイシャドーやマスカラなどのアイメイクが導入されたのもこのころである。

 1960年代から1970年代には、健康的で溌剌としたイメージを演出するため、オレンジ・イエロー系のファンデーション、ピンクベージュ系の口紅が好んで使われた。細く眉尻の上がった眉が流行していた。明るい色のチーク、マスカラやアイシャドウで目元を強調する化粧が大いに流行していた。

 1970年代後半から1980年代には、「ナチュラルメイク」が市民権を得、個人の個性を生かして自然な顔に見せる化粧が広まっていく。自然で、ナチュラルメイクが一番とても美しく綺麗とされたこのころである。日本人らしい顔立ちが見直され、アイメイクは控えられるようになり、太い眉毛が流行していた。

 1990年前後のバブル期には、紫外線の害が広く知られるようになったことから、美白化粧品が売り出された。濃くてはっきりした色の口紅を塗り、白系のファンデーションをしっかり施す化粧が流行していた。

 1990年代中盤に入ると「癒し系」メイクが流行し、きちんと化粧を施しつつも、素肌の質感を残すナチュラルメイクが主流になった。従来の真っ赤な口紅は廃れ、ベージュ系の口紅が好まれるようになった。1970年代ブームから、細い釣り眉やマスカラが復活した。

 1990年代後半から2000年代にかけては、ファッションの多様化が進んだ。前述の美白指向の定着により、ナチュラルな白肌メイクが多数派になっているが、濃い色のチークやファンデーションも好んで使われ、一時は「ガングロ」と言われる黒い肌の女性も現れた。

 メイクはある程度の一定周期で繰り替えされている。今年のアイシャドウの流行は、自然で、ナチュラル的であろう。しかし、流行にまったく関係なく、自分にとてもピッタリと合うタイプを見つけるのは大切だと思う。

2.3.1「顔を見せる」化粧ーナチュラルメイクの登場

 先述したように武家階級の女性は化粧をしないといけないとされていたが、厚く化粧をすることは好まれなかった。厚く塗ることは素顔を隠す、あるいは自然ではないことを示すものであり批判されてきたのだ。これは、現代でも一般的に「自然な感じ」のメイク、いわゆる「ナチュラルメイク」が好まれているように、自然に見せるということが昔から現代に至るまで、ポピュラーで一番関心が注ぎ込まれてきたようである。現在の日本でも、実際、学校、会社、街などで見かける女性のほとんどがナチュラルメイクをしているように思われる。

 では、なぜナチュラルメイクが認められているか、続いて歴史を踏まえて検証してみよう。

2.3.2「顔を見せる」化粧の社会性

 1970年代初頭に「男女雇用機会均等法」が制定された後、男女平等、女性解放を謳って女性差別を反対する運動が多く起こった。女性運動家の装いは、女性らしさを欠いた、飾り気を拒否したものが中心であった。

 たとえば、ノーメイクにGパンスタイルといったものである。着飾る事は男性への媚びであり、男性らしい姿をすることで、男性に頼らずとも生活できる、男性と平等なんだという女性の独立を強調したのである。

 当時は単に着飾ることに対する拒否であったかもしれないが、結果的には日本の伝統的な素顔に対する意識を変えていったようである。それまでは、近くに出かけるだけにしても白粉を塗って口紅をさすのが当たり前であった。化粧をすることは当然のことであり、化粧をしないのは女のたしなみをわきまえていないという意味で大変失礼なこととされた。極端にいうと、化粧をしない女性はその存在さえ拒否されかねないといえたかもしれない。

 最初は女性解放運動に参加した人々から素顔が登場し、しだいに女性の社会進出にともない社会的地位が向上していくにしたがい、かつてほどの素顔に対する社会の嫌悪感は無くなり、しだいに素顔が社会的に認められるようになっていった。この素顔の登場とは、従来の伝統的な顔を隠す意識が減少しはじめたことを意味する、素顔を隠してきた社会が、仕事場などの他人の前で素顔を見せることが許される社会へと変化したのである。

 そういった社会の強制から解放されて、化粧をするも、しないもその人のアイデンティティは保証されるようになったのである。その中で、化粧はしなくてはいけないものではなく、自分の表現の一つとして考えられ、また徐々に化粧を取り入れる人たちが増えてきた。その結果、顔の表現の幅、つまり自分の表現の幅が素顔の自分からメイクアップした自分にまで広がり、女性は、自分の表現方法が自分で選択できるようになったのである。

 先述したようにかつては、化粧はその社会性が高く、身分や階級などを示していたのだ。それが20世紀末には社会性が薄れ、男性の化粧品が発売されたり、小学生が化粧をするという、男女、大人子どもの境界さえ不鮮明になってしまった。言い換えると、外見におけるパーソナル.アイデンティティは社会が決めてくれた時代から自分が決める時代になってきていることを意味するのである。そのような時代になったからこそ、化粧という外見を操作できる手段が、自分を表現する手段として、今まで以上に重要になってきたのである。

 そのほか、2000年代後半、「スロー」なライフスタイルがブームとなり、「女性の品格」ブームによって、外見だけでなく内面も磨こうとする女性が急増した。これまで着飾ることに没頭していた女性たちは、料理やマナー、エチケットなど内面の美も求められる時代に突入する。そして、女性の社会進出やコミュニケーション能力が問われる時代となり、男性にもファッションセンスや美容が求められるようになってくる。

 さらに、このような時代背景から、現代では本当に必要なものだけを慎重に手に入れるという傾向になりつつあると思う。

 

第三章 職、性別による美意識の異同

 前章で述べたナチュラルメイクは主流になったが、職、性別によって美意識はどう違っているか。

3.1職による美意識の異同

 企業によって化粧の仕方を変えたのだという。これは、状況が化粧を規定するのを意識しての行動であり、企業それぞれを「状況」と考えたといえるだろう。

 たとえば、銀行や証券会社などイメージの堅い業種や職種の時は、落ち着いたメイクをする。アパレルや化粧品会社などのイメージの華やかな業種や職業の時は、前者のときよりは少し、華やかなメイクをしていくのだという。

 就職活動をする者にとって、自己をアピールすることは非常に大切なことであるが、「自分から周りを変えてやろう」というような自分を起点とした考えは少なかったようである。やはり、景気も反映してか、人々はいまや、企業を選ぶ時代ではなく、企業に選ばれる時代なのだ。この考えが化粧にも反映しているのであろうか、企業を選ぶような、自分を起点とした化粧をするよりも、企業から選ばれるような化粧をする人が多くなったのかもしれない。

3.2性別による美意識の異同

 女性同様にスキンケアやネイル、アイブロウ・エステ・グルーミングから美容サプリメントに至るまで、近年男性の美意識も高まっており、それに応えたハイクオリティな施設や商品が多数出現した。

 06年に雑誌「LEON」から大ブームが起こった「ちょい不良オヤジ」をきっかけに、美容に興味を持つ男性が増加した。また、山田昌弘氏の「婚活時代」によると、外見だけでなく男性のコミュニケーション能力や経済力など内面を磨くことも女性同様に求められるようになった。男性ファッション誌も次々と新刊が発行され、多くの美容に関する記事や専門誌も見受けられる。

 

 

おしゃれについてこだわっているところ[60]

図表1

 

男性のスキンケア意識[61]

図表2

 

 図表1と図表2の調査結果から、男性の化粧品や美容に関する意識は、女性のように、見た目を飾るようなメイクアップをするものではなく、身だしなみとして、清潔感を得るためのものとして求められていることがわかる。

 特に、20代からスキンケアに対する関心が高まり、ひげ剃りによるカミソリ負けや乾燥、または油にべたつきなどといった、肌トラブルを解決したいと感じるようである。

 つまり、女性では誰でも無前提に「美しくなりたい」という欲求があることが自明のように思われているが、男性の場合は美しくなるにも健康のためや仕事のためという男性的な理由である。

 

第四章 中日美意識の比較

 ここでは、4つの部分に構成され、前述までの日本における化粧の歴史的変遷、美意識の考察を踏まえて、化粧を中日比較してみようと思う。

4.1唐朝とほぼ同時代の平安期と美意識の比較

 

 唐代は、図4と図5のように目は細く、眉は細長いのや太く短いのなど様々である。これは西域の影響によるもので、唐代の国際色豊かな文化が受ける。また、肌が白いことが特徴としてあげられる。この肌が白いということは身分の高さを象徴するものであり、それに対してこの時代、身分の差が大きかったのではないかと考えた。

 唐代とほぼ同時代の平安期との比較をしてみる。ここでは、平安期は唐代の影響を受けたのかということについて見ていく。図6と図7のように平安期はひき目で、眉は完全に抜き、淡く眉墨でぼかすように描いている。目は唐代はひき目ではないが、細長い目であることは同じであると言える。眉は、唐代が様々に変化したのに対し、平安期はほとんど変化しておらず、短く太い眉である。唐代にも同じような眉の時代があったので、その影響を受けていたのかもしれない。目よりも眉への美意識が強かったことは、中日のどちらについても言えることである。これは当時の眉の様々な化粧法からよく分かる。現在は顔の中で一番美しいと感じるのに重要視されるのは、おそらく目であり、アイラインやマスカラ、アイシャドーなどの化粧法が発達している。

4.2清朝とほぼ同時代の江戸期と美意識の比較

 

 次に清代について見てみる。この時代、女性の美しさを見る上で重視されたものの一つに纏足があるだろう。纏足した足が小さければ小さいほど良しとする考えから、この時代の女性の社会性の弱さを感じるが、一種の美意識を持ったとも考えられる。つまり、外に働きにでたりせず、家に閉じこもり他人に姿を見せない上流階級の夫人が好まれたのだろう。或いは、外に出ずに他の男との接触を持たないという貞節さが重視されたのかもしれない。このように清代は、男性が女性の存在というものを束縛した時代であったようだ。纏足だけではなく、他のことからもそれがうかがえる。例えば図8のように、ハの字型の眉である。このような眉の形は頼りなさや弱々しさを感じさせる。それによって、女性は男性に頼るべき存在であり、そうすることが美徳とされたのだろう。この時期の美意識は、小さな足、細長い眉に集中したと思われる。

 清代とほぼ同時代の江戸期について、清代と比較しつつ述べてみよう。ここで注目したい点は、江戸期においても、清代と同様に女性の地位が低かったのかということである。すると本章をみると分かるように、平安期に比べ江戸期は女性の地位が低く、男尊女卑がつよく根付いている。それは、白い歯を見せてはならないとするお歯黒を美とすることから分かる。江戸期以前、お歯黒は男性にも普及していたのだが、江戸期に入ってからは女性だけがするようになった。つまりこれは、男性の歯は見せてもいいのだが、女性の歯は見せてはならないと取れるので、江戸期になって女性だけにお歯黒が普及したことは、この時期、男女の差別が強まったせいであると考えられる。同時期の中日において、日本は白い歯を見せることを醜いと考えられ、中国は白い歯が美しいと考えられていたとは驚くべきことである。

 また、この頃女性は眉を剃ることが一般的であった。これは、顔に眉毛が生えているのが醜いからという理由のようであるが、実際は眉毛がないことはいろいろと不便であったようである。男性にも眉毛は生えているのに、女性だけが剃っていたということは、これも女性だけが不利な立場にあることが分かる。一方、中国では眉剃りの習慣はない。眉毛が醜いという考え自体がなかったのであり、なぜなら中国ではむしろ細長い眉が美しいとされていたからである。

 それによって、この時期日本ではごく一般的であった眉のない顔をわが中国人が見たらきっと醜いと感じたことだろう。また、中国ではあんなにも重要視されていた足のサイズについては、江戸期に小さな足が良いとされたこともあったようであるが、中国のように纏足までして強制的に小さくすることはなかったようである。足に対する美意識は薄いと言える。

 続いて、中華民国期と明治期を比較して両国の美意識を検証してみる。

4.3中華民国期と明治期の美意識の比較

 

 次に中華民国期について述べる。図9のようにこの時期になると纏足は廃れ、小さい足への美意識がなくなるとともに、西洋の影響によっで、顔も西洋風な顔が好き、長い間美人の条件とされていた細長い眉は自然な形の眉へと変化した。また、この頃は清代のように色が白くなく自然な肌色である。長年美人の条件とされてきた白粉を塗ったの美意識が薄れてきたことが分かり、そこから、家に閉じ込められていた女性が社会へ出てくること分かる。このように民国期は外に出した開放的な時期だと言えるだろう。それは、顔について言うと、仮面のような無表情から、目鼻立ちがはっきりと見えるような化粧法に変わり、それに表情美が加わったことから分かる。

 明治期について見てみると、この頃には長年受容してきた中国文化の美意識はあまり見られないようである。なぜなら、中国でもこの時期の西洋化の影響を強く受けて、日本と同じような状況であったからだと言える。また、中国では民国期になってから西洋の影響を受け始めたので、日本の方が少し早く影響を受けていることが分かる。そして、おそらくどちらも西洋的であることに美を感じ、真似ていたのだろう。このように近代に入ってからの中日の西洋文化の受容をめぐる状況は、似通ったものであることが分かる。

 次に、民国期と明治期の共通点を探してみると、自然な太さの眉がある。これまでの美意識の伝統を覆すほどの強い影響力を持った欧米の存在の大きさがよく分かる。

 

 最後に、中日の現代の美意識について見ると、図10と図11を示したように顔においてはあまり大きな違いが見られないことが分かる。具体的に言うと、顔は小顔で卵型、目はぱっちりした二重まぶたがある。これは、中国では民国期、日本では明治期以降に中日が受けた西洋の影響を下地として、新たに生み出された自国や海外の美意識を積み重ねて出来上がった、新たな美意識だと思う。しかし、新たな美意識とは言っても、まだ時間がたっていないので、西洋の美意識は色濃く残っていると感じる。そして、中日の美意識が似ているということは、メディアの発達により西洋的なものをベースとし、世界中で同じ美意識を持つようになったからだと思う。もう一つの理由は、近年中国は日本の影響を大きく受けているからかもしれない。

 現在では、人によって違った個性的な雰囲気を好む傾向が見られる。また、外見だけで判断するのではなく、中身の方が重要だと言われることもある。現在は、人によって美を感じるものは異なり、美意識の範囲が広い時期であると言えるだろう。そうした中で今後は、外見についての美意識が薄れ、女性の自立により、いっそう内面重視の美意識を持つようになるであろうことが、男女の地位の変化により分かる。

 以上、中日の美意識を見てみると、ある共通点が浮かび上がった。それは、前近代において、日本では眉を剃ったり歯を黒く染めたりすること、中国では纏足を行うことが挙げられる。このように本来あるべきものを、消滅、或いは縮小することが女性美とされたようである。男性にはこのようなことはないのにも関わらず、女性にだけこのような身体加工が行われるということは、女性の社会的な地位の低さが関わっているようである。このような傾向は、近代に入ると退化していき、ありのままの本来の姿を美しいと感じるようになったことが、自然な色の肌、白い歯、眉の出現、纏足の衰退により分かる。

 

終わりに

 

 これまで、時代とともに変化する美意識の変化を見てきたが、今時また新たな美意識が生まれていることを実感した。それは「身の丈に合った生活をすること」、すなわち「丁寧に生きること」「自分に合った行動や身のこなしをすること」である。

 現代における文化は、時代のニーズに応じて実に多様な変化を見せている。それは同時に、外見がよければ許されることもあった時代から、内面の美しさも社会で生きていくうえで必要とされる要素のひとつになったということである。 そして、従来は女性が磨くべきとされてきた自身の美意識は、性別を問わず求められるようになった。ただ派手に飾り倒すだけでなく、自分を見つめなおし、何が自身にとって必要なのか、何が似合うのかという個々に応じた生き方やファッションを発見することが、人々を輝かせる大切な要素であることに気づくことができた。

 また、美的基準を個人にしか表現できない美を発見・表現し、何歳でもその年齢にしかない美しさを発見し、よく生きることを望んでいる。

 今後、中国社会が抱える「高ストレス」状態には、ますます加速度が付いてくるであろう。そうした中で、この化粧の効用で、少しでも美しく、幸せに生涯送ろうとする。

 また、2010年現在、100年に一度の大不況といわれる中で、私たち若者を中心に日々の生活を見直し、丁寧に生きるという風潮が現れることを期待したい。

 

謝辞

 本論文を提出するにあたり、お世話になった指導教官の顧盤明先生にお礼申し上げます。この間、テーマの選定から論文の完成に至るまでいろいろご指導をいただきました。ここに深く感謝申し上げます。

 

参考文献 www.eeelW.COm

[1]大坊郁夫編.化粧行動の社会心理学[M].北大路書房.2001:10-35

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[6]村沢博人.20世紀末の男性化粧から[R].化粧文化ポーラ文化研究所.2000

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[8]池田亜以・伊藤麗恵・綿引聡.男性をきれいにする商品[D]:[本科学位論文].2005

[9]岩男寿美子・松井豊・菅原健介.化粧の心理的効用:化粧行動と化粧意識[C]日本社会心理学会第26回大会発表論文集1985:104-105  

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