はじめに 日本語には「ことわざ」という言葉がある。諺の定義について、多くの『ことわざ辞典』の冒頭や端書に述べられているように、色々な言い方があって、これからそれぞれの主な定義を挙げてみよう。 「日本の諺は庶民の間から江戸時代に多く生まれたものと言われるが、人々の喜びや悲しみや憤りばかりでなく、自然と人間との係わり合いや動物、植物の生態にいたるまで、その内容は様々である。」[i] 「昔から言い習わされてきた、民衆の生活の知恵を盛り込んだ教訓的な言葉。口調のいい、形式を整えた短い句が多い。」[i] 「古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活経験からきた社会常識を示すものが多い。」[i] 「長い間の人間の体験によって積み上げられた、よりよく生きていくための知恵結晶である。」[i] 「その社会に生活する人々の共通感覚の上に存続している言語伝承であるから、個々で無関係ならば、ことわざなど存在しようがない。」[i] 「簡単な言葉で効果的に相手を納得あるいは屈服させようとする、一つのまとまった軽妙な文句である。」[i] 「ことわざには日本の生活の知恵と工夫が詰まっている。」[i] 「『こと』は『言』、『わざ』は『業』で深い意味を持つ行為。昔から世間に広く言い習わされてきた言葉で、教訓や風刺などを含んだ短句。」[i] 以上の諺の定義を整理してまとめてみると、どの辞書も大体同じような解釈で、共通的なものがあることが分かる。総括的に言えば、諺は以下のような基本的な特徴を備えていると思う。つまり、諺は古くから伝えられてきた、長い間に庶民が労働や生活を通じて、人間生活のあらゆる方面に言及して、分かりやすい言葉で知識や生活の教訓を説いて、定型にはまった簡潔な口語性の強いものだということである。 東洋であろうと、西洋であろうと、どの国にも本国の文化や社会を反映した諺があった。従って、その民族の思惟方式矢精神状態を反映する諺を研究して、その民族の国民性が窺われる。大和民族は自分の独特な性格を持っている民族だ。諺を通じて、ある側面から大和民族の価値観念、心理や考え方などの文化面の情報を知ることができる。これは、日本語の言語教育に役立つだけでなく、きっと日本人や日本文化をもっと深く理解することに役に立つと思う。本論文『ことわざ辞典』所載の条項を整理することを通して、日本人の性格や心理を分析の重点におきながら、日本人の国民性を探求してみたい。
第一章 日本の諺から日本人の自然観を見る
1.1 自然と共存する日本人 周知のように、日本はアジア大陸の東側に南北3,000kmにわたって、弧状に位置している島国である。日本の東と南西には太平洋があり、アジア大陸と日本の間には、オホ―ツク海と日本海と東中国海がある。日本は中緯度地帯に位置するため、温帯海洋性季節風気候だ。全体的に見ると気温が温暖なので、日本の国土はほとんど森林に覆われている。このようなきれいな自然環境において、自然に対して日本人の特有の敏感を養った。日本人にとって、自然はあくまで恵みを与えるもの、親しむべきものであり、決して人間と対立する厳しく、むごいものではない。自然は生育をもたらし、実りをもたらすものであることから。父祖代々がその自然とともに生き、やがて自然に帰っていき、自分自身もまたその道をたどる。それゆえ自然と自分を一体化し、自然の心をわが心として生きる感情が日本人の哲学・思想・宗教などすべての精神活動の根本に流れている。このような自然への親しみ、自然と我との一体化は、さらに自然を楽しみ、現世を謳歌する現実肯定の考え方を生み出していく。 だから、「自然に順応し、自然を利用し、自然と共存する」という自然観を形成した。春夏秋冬の四季の微妙な変化から様々な芸術や生活習慣が生まれている。文学において自然はいつも重要なテーマであり、特に自然に関しての諺が非常に多い。その小世界に自然を取り入れようとする姿勢の表われである。 例:春に目覚める(情窦初开) 夏歌う物は冬泣く(夏天穷欢乐,冬天受饥寒) 秋の空は七度半変わる(变化无常) 秋の日は釣瓶落とし(秋天日落急) 冬の雨は三日降らず(冬雨不过三) 1.2 日本の気象諺 また、日本列島は平野が少なく、川が短く、雨量が多いと洪水になり易い。夏には台風や旱魃が多く、冬には時として大雪に見舞われ、さらに地震などの不規則な自然あるいは風土の影響がある。そのため、天気の変化に左右されながら農事に従事している日本人は中国人や西洋人より特に天気に関心を持つ。日本には「天を頼りにして飯を食う」という諺さえある。そのほか、気象に関する諺も多い。 例:嵐の後には凪がくる(雨过天晴) 雷が鳴れば梅雨が明ける(雷声一响,梅雨退场) 雲行き早く空黄色を帯びる時は大風あり(行云疾驰,天空泛黄,必有大风) 暁の白雲が急に散れば大風(拂晓白云散,必是大风天) 自然と長期にわたり緊密な接触中で、 日本人は季節、気候などの自然現象に関する気象のことわざを創造した。それは長期の労働、生活の中で人々の蓄積の貴重な経験で、知恵と芸術の結晶だ。これらの生きている気象の諺は日本語学習者にとってよく勉強する価値がある。
第二章 日本の諺から日本人の人生観を見る 1.1 人柄や人格 この社会で、個人の人格や修養が非常に重んじられる。江戸時代に儒家思想が主導的な役割を演じた。それをもとにして形成した武士道は日本の核心道徳を構成した。最初は武士階層の道徳として出てきた武士道はその後国民の道徳として広がっていった。武士道は忠実や礼儀、質素倹約などを重んじる武士の道徳という観念で、儒家の思想に裏付けられて大成した。武士道の核心思想は「忠孝」だ。特に「忠」は武士の最高の倫理道徳と思われる。「忠」は「孝」を前提にして生まれるので、「忠」と「孝」は一致する。同時に、「義理人情」を重要な道徳綱目として強調していた。ほかには、質素倹約も武士として欠かない美徳だ。日本の核心価値系としての武士道は日本の思想価値を具現する。関係の諺は次のとおり色々ある。 (1)「忠孝」を表現する諺 例:犬は三日飼えば三年の恩を忘れぬ(犬饲三日,三年不忘其恩) 父母の恩は山よりも高く海よりも深し(父母的恩情比山高,比海深) (2)「義理人情」を表現する諺 例:旅は道連れ世は情け(客中思伴侣,世上只人情) 情けは人のためならず( 与人方便自己方便) 腹立てるより義理立てよ(人情留一线,日后好相见) (3)「質素倹約」を表現する諺 例:朝起きは三文の徳(早起三朝当一工) 稼ぐに追いつく貧乏なし(勤劳致富) 座して食らえば山も無なし(坐吃山空) ないときの辛抱有るときの倹約(贫时应坚忍,富时宜节约) ほかには、「誠実」を表現する諺も多い。 例:正直の頭に神宿る(善良正直者天助之) 正直は一生の宝(诚实乃一生之宝) 正直は最良の策なり(诚实乃最善之策) この以上の例から見れば、個人の人柄の方面で、日本人は儒家を基にして出てきた武士道に則る。 1.2 生きれば、桜のように絢爛に生きる 日本の国民は自然が好きで、特に桜が大好きだ。これは日本人特有の感性にしっかり繋がる。桜の満開期はただ七日。その後すぐ散ってしまう。この散る桜は日本人の人生を反映する。まさに高橋所長が言ったように、「普通の人はただ桜の満開期の美しさが分かるが、散る桜の美しさがわかる人は本当に日本人を了解する人だ。」[i]日本人にして見れば、桜の性格は大和民族が提唱する武士道精神とよく似ているだけでなく、大和民族の思想や美意識をも具現している。桜には一番美しい時は散る時だから、日本人はそれを武士の献身精神と結びつけたのである。人生は桜のように短くので、生きれば自分の価値を発揮すべきだ、と。日本では桜の花は、集団精神と武士精神の象徴として尊ばれてこそ、「花は桜、人は武士」という諺があるのだ。すなわち、花の中では桜がもっとも優れて、人間としては武士が一番立派であるという意味だ。桜の花は咲いてぱっと散る花だ。風でも吹けば、桜の木の下には、花びらのカーペットが敷かれ、花は一夜のうちに散り尽くしてしまう。潔しといえば確かにそうですが、これほどあっけないものもないだろう。ところで短時間のうちに散り尽くすのは花弁だけで、芯と付け根はそのまま残り、木の上には紅色の花びらは一片も残らない。この花の散り方の潔さは、城を枕に一人残らず散ってしまった武士集団のようなもので、武士の人生観に結び付けられる。武士にとっては、桜の散り際のよさはおのれの憧れの生きざまだったのだ。 その上で、日本が南北3,000kmに和たる弧状をしている島国なので、自然景色が季節によって違う上に地震などの自然災害が多く、それで、無常観が生じやすい。桜は「めでたい物」と目されているとともに、その中に死亡や滅亡も見える。桜の満開期を過ぎて、花びらがはらはら舞い散る。日本人は桜が好きなのは、人間の短い人生は桜のように絢爛に生きたいという願望に起因するのである。このような死生観のもとに、日本人はずっと桜のように絢爛に生きることを自分の理想にして生きる。その上、日本は自然を尊重して、道教を信じる国なので、死亡のことは恐れない。日本人にとって、肉体の死亡は人間の魂がまるで桜のように自然に戻るという意味を持っている。日本人は、生と死が対立ではないと考える。死者の魂は生き返ると信じる。桜は生と死を結ぶメディアなのだ。死亡があればこそ、生きている時はすばらしいと感じる。 1.3 日本人の人生態度 日本の伝統的な民謡を聞いてみると、その中に「涙」「夢」「雨」「別れ」などのさびしいと感じられる文字が非常に多いということに気付く。民謡だけでなく、日本文学の中にも同じ伝統が見られる。だから、谷崎潤一郎このような話をおっしゃったことがある。「日本人は重苦しい美が好きだ」と。しかし、人生態度に関する諺を整理してみると、日本人は実に楽観的に生活してきた側面もあろうと思う。 例:「捨てる神あれば助ける神あり」(此处不留人,自有留人处) 案ずるより生むがやすし(車到山前必有路) すべての道はローマに通ず(条条大路通罗马) 苦あれば楽あり(苦尽甘来) 人事を尽くして天命を待つ(尽人事而待天命) 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(否极泰来) 泣いて暮らすも一生笑って暮らすも一生(哭也一生,笑也一生) 1.4 繊細さ 日本の諺では人々に熟知されている動物をたとえにして、平凡で小さな動物の形や習性を細やかに描写することによって、平凡でありながら努力すれば予定の目的が達することができる、というふうな意味を表すものも少なくない。例えば、小さくて日本でごく普通な鰯に関する諺はたくさんある。 例:「鰯で精進落ち」(事半功倍) 「鰯の頭も信心から」(精诚所至,金石为开) 「鰯七度洗えば鯛の味」(鸡毛也能飞上天) 「干潟の鰯」(奄奄一息) ほかの民族に比べて、日本人は精度をもっと重んじて、小さいことや細かいところまで繊細な感覚を持っているらしい。日本人の日常生活にはこのような繊細さを表していることがまれではない。例えば、どんなにつまらない贈り物でも、包装用紙で見事に包んでから、相手に贈る。他には、日本の列車のタイムを秒まで計って、鉄道会社はこの時刻をきっちりと守っている。こうしたことは間違いなく日本人の神経の細やかさが機能していて、すなわち繊細な感覚に繋がっている。
第3章 日本の諺から日本人の社会観を見る
1.1 日本人の集団化傾向 日本人はどの国の人々よりも集団意識が強く、団結心に富んでいる。「億兆心を一にして世世厥の美を済ませるは此れわが国体の精華にして……」これは終戦時まで義務教育の学校で毎日朗読する「教育勅語」のくだりだ。日本人の集団主義の特徴は思想家加藤周一がおっしゃったように、「日本では、集団を超える価値は決して支配地位を占めない」。[i]思考方式で、日本人は強い集団意識を持っている。人々はいつも「自分が集団に属するんだ」ということを覚える。「自分」は社会グループを通じて存在する。それに、個人はある集団に属するべきだ。日本人のこういう集団意識は過去、第二次世界大戦における玉砕や集団自決の悲劇、また今日、企業経営、サラリーマン社会などにおける集団の和の重視、果ては学校の生徒の制服にいたるまで、広く深く根を張っている。 「出た釘は打たれる」と言う諺は日本人の処世術を端的に現していると言え、集団に異を唱えたり、背を向けたりするものには「村八分」という処罰さえあった。そのためなのか、日本人は仲間外れにされることをすごく恐れている。海外に行けば、独自に集団化するし、国内にいてもそれぞれの集団や派閥を作りたがる。その集団内のチームワークのよさを目指す傾向がある。日本人の集団化傾向を表す諺も色々がある。 例:出る杭は打たれる。(出头的椽子先烂) 言わぬが花。(不说为妙) 大木は風に折られる。(树大招风) 出た釘は打たれる。(枪打出头鸟) 1.2 日本女性の社会地位 経済基礎や社会生活条件によって、それぞれの民族には異なる意識形態ができた。諺はある民族の文化観念や意識形態が当該民族の言語の中に投影された現象であり、言語と文化の融合した産物である。だから、諺は自然にその民族の独特な文化観念や意識形態の色彩を帯びる。日本人の伝統的な女性観もその諺から十分に窺うことができる。長い間に儒家思想に影響されたので、日本の伝統的な女性観は女性は家族に属して、男性は社会に属するというものであった。社会であろうと、家庭であろうと、男性は主導的な働きを持て、絶対的な権威や決定権を持つ。日本の諺の中に、「七日小腹を病んでも男の子を産め」というのは充分に男性の重要性を示す。日本の社会では、女性が男性の意見に従わなければならないのみならず、社会に出ることもできない。『日本語と女』という本の中で、寿岳章子は、「女課長」と「女性課長」、「女政治家」と「女性政治家」、「女物書き」と「女流作家」などの意味の違いを分析して、漢語語彙の「女性」より「女」という用語の方は女性差別の感情色彩を含んでいるという結論を出している[i]。日本の諺の中で、全部「おんな」で「女性」の意味をを表す。 例:主人と病気には勝てぬ 女の知恵はその場限り 女の知恵は後へまわる 長い間に日本人は中国の儒家思想に影響されて、男尊女卑という意識が根強く揺るぎない。もちろん、時代の進歩によって、現代では、日本の女性の社会地位や家庭地位が段々上がりつつある。しかし、本当の男女平等という願いが叶うまでは、まだ長い期間がかかるだろう。 1.3 日本人の「以心伝心」 日本人のもう一つの特色は日本人の「以心伝心」ということだ。もともと、「以心伝心」は仏教の用語で、文字や言葉などを使わず、師匠から弟子の心に仏法の真髄を伝えることができるという意味である。後に、「以心伝心」は段々思っていることが言葉で言わなくても、心と心でお互いに理解できるという意味に発展していった。では、日本文化の百科事典としての日本の諺はどのように私たちに美妙な「話の含み」を展示するか。 例:腐っても鯛 水に油 山と言えば川 猫に鰹節 以上の諺はできるだけ短縮されたために、諺に助詞や助動詞また主語などの部分を省略するのが多い。また、日本の諺に比喩や暗喩を使っているものが少なくない。日本人はあまり直接的に自分の意見を表さない。次の例がそれである。 例:台風一過 タオルを投げる 花より団子
終わりに www.eeelw.cOM ドイツの言語学家フンボルトは「どんな具体の言語でも一種の独特な世界観である。それは人間から生まれても、逆に人間の思惟や行為を制約する。」[i]と述べている。言語はある民族の特徴を反映する。それに、言語と文化は深い関係がある。言語は文化の最も根本的なキャリヤーで、文化の鏡で、文化に影響された。各民族は自分の特有の風土や人情や国民性に合う文化を持っている。言語はこの民族の文化を反映するもので、言語を通して、ある国の文化の主な特徴を見つけ出すことができる。国民性は独特な地理位置や歴史や社会など色々な要素の影響で形成される。諺は長期にわたってある民族の生活経験の結晶で、大衆の知恵で、世界中のすべての言語の特徴である。「文化の百科事典」とも呼ばれた。深い思想性やすば抜けている言語の芸術性があるとともに、豊富な文化性も含まれる。これも人間の日常生活の方向やガイドラインと見なす。だから、ある国の諺から該国の国民性も読み取れる。日本語を勉強する学生にとって、日本語を勉強することは大事な部分だが、日本語に関する日本文化とか、国民性とか、歴史などの知識も大切だ。 本論文は日本の諺を通して、言語文化学などの視点から、日本人の自然観、人生観、社会観を検討してみた。でも、本論文ではまだあまり充実していない部分があるが、これからの研究に譲りたい。 グローバル化のもとで、日本との交流で、日本という民族の国民性への理解も必要であろう。わが国は日本人の独特の国民性を理解した上、社会と民族の求心力をもっと強くして、目標を目指して、もっと効果的に発揮すれば、国際的な競争力を高めることや、国力を増やすことができるであろう。
謝 辞 卒業論文の指導教師として、雷先生がご多忙にもかかわらず、何回も精緻なご指導、ご添削をしていただいたおかげで、この卒論が順調に出来上がりました。また、大学時代に、私を見守ってくださった諸先生のご指導に心から感謝の意を表したいと思います。大変お世話になりました。 この場を借りて御礼を申し上げます。
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