はじめに 食物の歴史は、人以前から始まっていると言ってもさしつかえないほどに、いろいろの歴史の中でも人の生活とともに最も長く、そして最も密接な関係を持って、今日まで続いてきた[i]。 飲食は人間の生存に対して大事な基礎である。人類があれば飲食があり、飲食あれば飲食文化がある。だからこそ、飲食文化は人間とともに生存することが言える[i]。しかし、文化は相互に影響している。世界中、多くの国家は中国の飲食文化から影響を受ける。一番影響を受けた国家は中国と一衣帯水の隣国としての日本である。 中日両国文化の交流はずいぶん長い歴史を持っている。とりわけ、中国の隋朝と唐朝には、非常に緊密な交流を持っている。日本は極めて大きな中国文化を強い胃にこなしきた。それから、自国の独立した食文化を形成した。七世紀から九世紀にかけて、日本から大量の遣唐使、学問僧や留学生などと一緒に中国に派遣した。彼らは日本に戻ったとき、中国人一部の生活習慣や食物なども日本に持ち帰った。 十世紀を皮切りに、大量な中国の商人や僧侶・移民などが海を渡って日本へ行った、と同時に、日本側も中国の仏教の経典を習うためにたくさんの僧侶が中国に来た。だから、いろいろな中国の農作物と食品が次々と日本に伝えられた[i]。一番早く日本に伝た農作物は米である。約二千五百年前のことである。中国の長江下流の地区から日本の九州に伝えられた。日本の飛鳥時代と奈良時代に、日本に伝た農作物は蕎麦、人参、エンドウなどである。日本の室町時代から江戸時代にかけて、日本に伝えられたのはサツマイモ、トウモロコシ、フジ豆、白菜、唐辛子、冬瓜などである。それと同時に、中国のいろいろな食品も日本に伝えられた。しかし、何千年の変化を経て、中国と日本は特色が別々の料理を形成した。中国には、「一つの場所の土と水は一つの場所の人を育て」という諺がある。一口で言えば、中国料理といっても、地方ごとに特徴のある料理多くある。たとえば、江蘇では蘇州、揚州、南京、鎮江の四大料理がある。名物料理には鶏湯煮幹糸(千切り干し豆腐と鶏肉の煮込み)、蟹粉獅子頭(蟹味噌の肉団子煮込み)などが挙がられる[i]。日本側は大体四大島に分かれて、飲食習慣も別々である。地方の風味があるけど、日本料理と言うと、寿司や刺身や天婦羅などのようなもの頭に沸いてくる。 油の控えたカロリーの低い日本料理はよく「水料理」といわれる。中華料理、というと、油をどっといれた中華鍋から時々炎をあげながら豪快に調理する、というイメージがある。だから、中華料理はよく「油料理」といわれる。 私は中国の「油料理」と日本の「水料理」を中心に、中日両国の食文化を比較したい。
第一節 中日両国の主食
採集、狩猟、漁獲は人類の生存手段として長い歴史を持っている。それに長い間に持続していた。そのとき、99%以上の食べ物は採集、狩猟、漁獲のような手段で得られた。中国と日本は一衣帯水の隣国としても、別の国は別の国である。両国の自然環境は違う、それに文明開化の年代も違う。だから、採集、狩猟、漁獲などのような同じ手段を使うにしても、別の特色がある。例えば、中国は大陸の国だから、採集、狩猟のような手段を通じて食物を得るのはもっとたやすい。しかし、日本は島国である。中国と比べると、漁獲で食物を得るのはもっとたやすくなる[i]。 中国人と日本人の食生活においてお米は昔からの主食である。お米は両国の飲食文化の中にかなり重要な地位を占めている。お米は炭水化物としてエネルギーになるのは周知のことだが、実はお米に多種の栄養が詰まっている。稲作文化の伝播についてもたくさんの見解がある。日本国内には一つおもしろい神話が伝わっている。狐が中国から稲穂を一つ盗み、それを竹棒の中に隠して日本にもたらしたという伝説である[i]。 中国人は日本人より主食を重んじる。中国は昔から農業大国である。中国人はずっと殻類を主とする。主食は五殻である。副食は野菜で、それに少し肉を加えて食べる。何千年来ずっとそうである。この風俗習慣を形成した主な原因は中国大部分の地区で農業生産を主としての経済生産方式である。日本は島国だから、副食を得るのはもっとやすいである。海から魚類にしても、海藻にしても、全部食べられる。それに、中国陸地の面積は日本よりずいぶん大きい。日本のような恵まれた自然条件がないから、中国はもっと主食を重んじる。考えつく限りいろいろな菓子を作り出して、副食の不足を補う。例えば、中国の餃子、粥、チエンピン、シャオピンなどのようなものである。こんなものは主食としてもいい、副食としてもいい。日本は中国と比べると、このような食べ物は少ない。 日本の周辺は全て海であり、島国である。そのため他国と陸上において接していない。日本の東側および南側が太平洋、西北側が日本海、西側が東ナシ海、北東側がオホーツク海である。本州と四国に挟まれた海域は瀬戸内海と呼ばれている。日本列島の南側を黒潮(日本海流)と呼ばれる暖かい海流が流れている。北からやってくる親潮(千島海流)が三陸沖から常磐沖でぶつかって好漁場をつくっている。だから日本人はよく魚を食べる。
第二節:中日における食の地位 「民は食を以って天と為す」という諺が示しているとおり、中国人は昔から飲食を重んじる。三千年前、周朝の記録には調理方法についての記載がある。それだけでなく、たくさん飲食治療についても記されている。当時、王宮の中で飲食を管理する専門の担当者があった。中国の歴史上、劉安という君主がある。彼は一つの国家の君主だったけど、しょっちゅう自分自身で料理をつくる、時には部下に調理法を伝授することもあった。豆腐が彼によって発明されたと言い伝えられている。中国「五経」の一つ「礼記」の中で、禮は飲食から出されるという言葉がある。古代に神仏や祖先を祭るような活動で食物とは分かれられなかった。祭りで一番重要なのは祭祀の供え物である。それは牛、羊、豚のようなものを指す[i]。「詩経」、「尚書」などの書籍に、われわれにいろいろ先秦時代の飲食現象を再現する。その中に酒、酢、醤油などのような食品に関する紹介もある。さらには栄養士や食療養生士についての関係記載もあった。湖南の馬王堆という漢代の墓の中から2000年前の帛書が出土した。その中に は古代の君主と大臣の飲食生活と養生方法に関する問答を記されているから、「十問」という。『論語』の中に、飲食の内容に触れていたところは41回ある[i]。ある言葉は今でも使う。昔から、飲食文化は中国文化の中で最も重要な内容の一つであることがわかる。中国語で「食べる」という意味の漢字の使う範囲もすごく広い。中国人は「食べる」を重視すると言うのに対して、日本人は「見る」を重視する。 日本人は飲食についての見方は中国人とはぜんぜん違う。とくに古代のとき、日本に飲食についての文献や資料などは少なかった。ここから見れば、歴史上の日本は飲食文化を重視しなかったか、重視したかったとしてもできなかった。昔、日本人は一人の地位、教養、人柄を判断すれば、あの人の服装、乗り物、住宅などを見る。あの人の飲食については、ぜんぜん気にならない。さらには、ある人は飲食を話題とすると、非常に恥ずべき行為だと思われる[i]。日本の徳川時代は武士が権力を握る時代である。あの時代の人は何をしても速くしなさいという教育を受ける。歩いても速く、食べても速く。男ならば、食べ物をよく考えてはいけない。こんな状況は近代にからなってだんだん変わる。実際の食べ物というより、日本人はもっと重視するのは食物を盛る用の皿のような外在のものである。
第三節:中国の「油料理」の形成 中国料理と言うと、強火を用いる炒め物が目たち、油を多用する料理が多いという傾向がある。まさか中国人は生まれながら油料理が好きなようである。 中国には、近海や湖や川などがたくさんあるけど、陸地の面積と比べるとずいぶん小さい。新鮮な料理が好きだが、自然の条件に恵まれない。中国の古代には、刺身のような生肉、生魚の料理もよく食べたという[i]。中国の周の時代に、刺身を食べる記載があった。たくさんの名人は刺身が大好きであった。三国時代の曹植とか、隋の第二代黄帝煬帝とか、それに詩仙と称される李白とか、みんな刺身について優秀な作品を残した。刺身についての詩の中で、叙述は一番詳しいのは李白の「魯中都有小吏逢七朗以斗酒双魚贈余於逆旅因鱠魚飲酒留詩而去る」である。ある年、李白は末の息子を連れて、中都という所を通った。ある逢七朗という小吏はその地方で醸造した酒と新鮮な魚を持ち、うれしそうに詩人に訪問した。李白は大感動であった。自ら刺身を作り出した。それに、分かれるとき、この詩を作って、小吏に贈った。 しかし、こんな料理は広範囲に発展できなかった。今日ではただある沿海地域にこんな習慣が残っている。こんな料理は広範囲に発展できない一番重要な原因は自然条件である。川や海から得られるシーフードや魚類などは長い時間に鮮度を保つことは難しい。内陸の人々に食べられるためには、陰干しなくてはいけない。しかし、こうすれば、食材の鮮度は大いに下がる。人は美味しく賞味するためには、鮮度を戻したい。だから、いろいろな香料、調味料を入れて、それに複雑かつ時間がかかる調理法を通して、人々の味覚を満足させる。だんだん、いろいろな調理技術が生み出される。例えば、油で炒めるとか、油で揚げるなどである。これらの方法を通して、作り出した料理は、においもいいし、味もいいし、人々の味覚に満足できる料理である。自然に、中国では「油料理」を形成した。これも中華料理最大の特色である。 そのほかに、中国人は深く中医学に影響された。中医学では、人間は自然の環境変化の影響のもとで生存している有機的な統一体であり、そのため、変化に適応できず生体の陰陽のバランスを崩すと病気になると考えられてきた。毎日の食生活を通して生体の陰陽のバランスをとることは食療といわれる。食療とは、中医学理論に基づいて疾病の予防・病気の回復、そして健康を保つための美味しい料理を作って食べる。中医学は暖かい料理のほうがいいと唱える。冷たいものを食べれば、病気になりやすいという理由をつけている。それに、油料理と言うと、暖かいの方がもっと美味しくて、消化しやすいである。[i]だから、中国人は油料理をよく受け入れる。 歴史上の中国人は非常に勇気を持って、何でも食べていた。俗に「広東人は二足なら親以外、四足なら机と椅子以外、走るものなら自動車以外、泳ぐものなら潜水艦以外、空を飛ぶものなら飛行機以外なんでも食ってしまう」と言われるように、その食材は多種多様にわたる。調理法についても同様で、炒め方とっても干炒、滑炒、清炒、生炒、爆炒など技法や時間の長短により10種類近くあり、それぞれの炒め方を冠した料理ができあがる。さらにこれに用いる調味料で変化を加えると、青菜の炒め物だけでも100種類を超える料理ができあがってしまう。こうしたことから理論上で言えば、1人の中国料理人が作れる料理の数は、何万種類にも及ぶ。しかし、どの方法にしても油とは離れられない。中国には、炒め料理はたくさんあるが、日本には天麩羅のような油で揚げる料理があるけど、このような料理はあまりにも少ない。
第四節:日本の「水料理」の形成 日本料理と言うと、最初に考え出すのは刺身や寿司のような料理である。日本料理の最大の特色は新鮮さだと思う。 日本は資源の少ない国である。境を接する隣国さえもない。だから、日本人の危機意識は重い。何かの災害に遭われると、自民族は絶滅に瀕するということを恐れる。だから、中国の文化は日本に伝わったら、日本式の理解が誕生する。例えば「油断大敵」という表現はそうである。日本人の理解では、油がなくなるとは敵に臨むことにつながる。だから、中国人のようなよく油を使って、料理を作るということはだめである。明日の安全のため、できるだけ油を使わない。それに、17世紀前に、日本の経済発展のレベルは高くではないし、海外貿易も十分ではない。日本で、油の生産量は少ない。砂糖のような香辛料も珍しいものだ。自然に、日本料理は油のような調味料の使いの場合は少なくなった。[i]だんだんあっさりした料理を形成した。 日本料理とは、日本でなじみの深い食材を用い、日本風土で独自に発達した料理をいう。 普通日本料理というと、1汁3菜というイメージがある。一汁とはお吸い物、三菜とは刺身・焼き物・煮物のことを指す。そして日本料理の正式な料理は本膳料理と呼ばれる。その組み合わせの特徴は、穀物の米を主食に、魚や大豆などの蛋白源のおかずとなる主菜、そして煮物など野菜料理の副菜が添えられていることである。 中国人にして見れば、日本料理はあまりにも簡単で、中国料理の四大料理とは比べ物にならないものであり、しかも、西洋料理と比べてもあまり人の食欲を引き付けるものではない。しかし、日本の伝統的な食生活は健康的で豊かな食生活とされている。一般的に米をはじめとする穀物、野菜、豆類、果物などの農作物、魚介類や海藻といった海産物、鳥類の肉などがよく使われる。仏教の影響ゆえに獣肉の利用は比較的発達しておらず、乳製品をほとんど使わず、これらのタンパク源の代用として大豆加工品が好まれる、といった特徴をもつ。特に、海産物を生食すること、海藻を好んで食べることは海外ではあまり見られず、日本料理の大きな特徴といえる。これらは大切な栄養素を多く含んでおり、健康維持に大きく役立つのである。 つぎは日本料理の例を挙げて説明しよう。
4・1 寿司
「すし」には『鮨・鮓・寿司』がありますが、鮨と鮓はもともと二千年以上も前からあった中国の漢字である。「すし」の始まりは、はっきりは解らないけどおそらく東南アジアかどこかの山中の民族が川魚の保存に穀物を炊いたものを漬け込み、自然発酵させたものが、始まりだといわれている。これは日本のフナ寿司の元祖ともいわれる。「鮨」のつくりである「旨」にはものを熟成させる意味があり、「鮓」のつくりの「乍」は、ものを薄くはぐ意味があるらしい。『寿司』という漢字は「寿を司る」で、縁起がいいものとしてその名を語っている。 「すし」と呼ばれる魚介類の漬け物が大陸から渡ってきたのかもしれない。養老二年(西暦718年)、「養老律令」のなかに『鮨・鮓』の漢字が登場する。それらはおそらく、魚介の漬け物と思われる。それが、奈良時代には、「熟れずし」のようなもので、その後は「飯すし」、現在の関西の鯖の棒すしみたいなもの。「コケラずし」は箱ずしの原型、現在も「ケラずし」として大阪に名を残す。「箱すし」は関西の「押し寿司」の原型である。ここで、注目すべきは、関西と言う言葉がたくさん出てくる。 握りずしのルーツは一八〇〇年前半ごろ、江戸のある屋台の職人の誰かがお米の上に押し寿司の材料を切り付けてのせ、即席のすしをつくったと言うのが始まりと言われている。しかし、当時の「握りずし」は「押し寿司」と同様、お米の味が重要で甘辛く味付けた椎茸や海苔を加えたりおボロをのせたりして味を補っていたそれから、大きさもお握りみたいに大きくて、現在のものとは大違いだったらしい。もちろん、材料自体の違いは言うまでもない、「江戸前ずし」の誕生によりその姿を変えるとともに全国に広がっていったが、それはすでに戦後のことである。「握りずし」は、江戸以外ではまだまだそんなに昔からあるものではないということになる。「江戸前の握りずし」は、気が短い、「江戸っ子」が作り上げたいわゆる「東京の郷土料理」と言っても過言ではないだろう。
4・2 米 米は古来より日本人の主食として食生活に欠かせないものである。米は日本全国各地で栽培されている稲作は日本においては、縄文時代中期から行われ始めた。縄文時代中期に、中国から琉球を経たて九州南部に伝わり、その後九州北部、中国、四国へと伝わったという説があり。大々的に水稲栽培が行われ始めたのは、縄文時代晩期から弥生時代早期にかけてで、各地に水田の遺構が存在する。日本人の食生活で、最も大切だと考えられている食べ物は、なんといってもご飯である。「ご飯」は、本来、「炊いた米」を意味する[i]。ざっと見れば、ただ普通の米だけど、その中は豊富なたんぱく質を含む。そのほか脂質、無機質、ビタミンあるいは食物繊維の含量は少ない。
4・3 大豆製品 その次は大豆である。日本人はよく大豆製品を食べる。日本人は一人あたりの一日の大豆製品摂取量が100グラム以上である。日本には縄文時代に存在したと思われる大豆の出土例があり、「古事記」にも大豆の記録が記載されている。日本人は大豆製品に対してとても夢中している。大豆製品はたくさんある。蒸した大豆を麹菌と耐塩性酵母で発酵させると醤油、味噌、また蒸した大豆を納豆菌で発酵させると納豆となる。熟した大豆を加水、浸漬、破砕、加熱したものを搾ると液体は豆乳、その残りはおから、豆乳を温めてラムスデン現象によって液面に形成される膜を湯葉、にがりを入れて塩析でタンパク質を固めると豆腐、豆腐を揚げると「油揚げ」「厚揚げ」、焼くと「焼き豆腐」、茹でで「湯豆腐」、凍らせて「凍み豆腐」となる。大豆にはサポニン等水溶性の低分子化合物やタンパク質性のプロテアーゼ・インヒビターやアミラーゼ・インヒビターやレクチンなどの有毒成分が含まれており、これらの加工には有毒成分の除去や解毒の意味もある。 大豆は低カロリーで、しかも良質の蛋白質を含む等栄養価の高いものである。大豆は「畑の肉」とネーミングされた。それは、大豆が肉に匹敵する量の蛋白質を含んでいることがわかったからである。この蛋白質は、必須アミノ酸がバランスよく含まれた良質なものである。また大豆には、脂質、炭水化物、食物繊維、カリウム、カルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛、銅、ビタミンE、ビタミンB1、葉酸など様々な栄養素が含まれる。一方、大豆はコレステロールを全く含んでいない。このようなことから大豆は自然のバランス栄養食ともいうことができる。また、大豆には健康に役立つ成分が含まれるから、生活習慣病を予防できる。
4・4 魚介類 周知のとおり、日本は周囲が海に囲まれている地理的位置に恵まれて、漁業の大国であるので、魚料理が多いのである。一番印象を残れるのは刺身のである。日本料理は最も大きな特色は食品の新鮮度を重んじる。一番代表的な魚料理は刺身である。日本人は刺身が大好きである。日本で一番人気がある。刺身は新鮮な魚介類などの肉を、生のまま薄く切って醤油などをつけて食べる料理である。生食は非常に健康である。中国人は肉料理に対してよくしている。豚など耳や皮まで調理することができる。これは大陸国家と海洋国家の違いだと思うが、日本人は魚を知り尽くしている。日本の食卓では「魚離れない」と言われる。日本人の魚介類年間消費量は1人あたり約66kgと言われている。日本人は好きな食用魚は秋刀魚をはじめ、鮪、鯛、鰻、鮭などたくさんある。魚は豊富な栄養を含まれる。
4・5 副菜 日本の副菜は大体旬の野菜、海藻や菌類のようなものである。海藻は豊富な微量元素が含まれる。菌類のカロリーが低いである。日本人は中国人のような野菜を油でいためてはない。彼らは欧米人のような生のまま食べて、あるいは、サラダと混ぜ合わせて食べる。
以上紹介した日本料理から見れば、油を使う場合はあまりない。魚にしても、中国のような油で炒めてはなく、よく生のまま食べる。日本料理は食材そのものの味わいをもっと重んじる。日本で「初物」と「旬物」という二つの言葉がある。日本人は「初物」を食べると長寿できると思う。この風潮はだんだん上層の貴族から民間に影響した[i]。だから、日本人は食材の新鮮度は非常に重んじる。日本料理はあっさりして、新鮮度も高いという特徴を持っている。 こんな日本料理は健康に対していい。共同通信(2006年4月7日)によると、世界保健機関(WHO)は、2006年版の「世界保健報告」を発表し、2004年世界192カ国の中で、平均寿命ランキングの第1位の国は日本であった。女性の86歳と男性の79歳で、最長寿国と言われている。もちろん、長寿の原因はいろいろがある。例えば、日本人は公衆衛生に特に力を入れて、その環境が優れているとか、スポーツが重視されているとか。しかし、最も重要なのは伝統的な飲食習慣と科学的な食材構成と思う。
結 論www.eeelw.COm 以上はただ中国の「油料理」と日本の「水料理」について、簡単に紹介したが、その違いの原因も簡単に分析した。一番重要な原因はやはり自然条件の違いにあると思う。 日本の食文化は中国から伝わった食文化の上に日本の気候風土の要素も考慮した先人たちの知恵によって作られたものである。その特有な地理環境は日本人の独特な食文化を決定した。また、日本の四季と料理も深い関係がある。とりわけ、その季節だけに採れる食材を「旬」のものとして調理する技術が発達し、季節ごとの料理を楽しむことができる。中国にしても、中国の国情に合う料理を形成した。内陸の面積は大きいから、海や川から得られる新鮮な食材は有限である。保存するために、食材を陰干する。それに、鮮度を戻すために、よく油で調理する。中国人は油料理が大好きということはなく、歴史の産物と言える。そのほか、中国国土の面積は大きいだけど、耕地面積は少ない。それに、中国の人口も多い。こんな面積に限りがある土に非常に大きな人口が食物に対しての需要を満足するために、主食を非常に重視してきたのである。普通、中国の歴史上よく人心をつかむ君主は、農業の生産を重視する。 食物についての文化は人間の歴史のような長い歴史を持っている。食文化は人間と密接な関係にある。食文化は永久に変わらない話題である。
謝 辞 卒業論文の指導教師として、雷国山先生がご多忙にもかかわらず、何回も精緻なご指導、ご添削をしていただいたおかげで、この卒論が順調に出来上がりました。また、大学時代に、私を見守ってくださった諸先生のご指導に心から感謝の意を表したいと思います。大変お世話になりました。 この場を借りて御礼を申し上げます。
参考文献 [1]、贾蕙萱.中日饮食文化比较研究.北京大学出版社.1999 [2]、段继华.中日美食小事典.旅游教育出版社 [3]、樋口清之.日本食物史.柴田书店(1997) [4]、张伯香.美丽的岛国日本.武汉大学出版社 [5]、金文学.东亚三国志.中信出版社 [6]、大森和夫.日本.外语教学与研究出版社 [7]、作喆.中日飲食文化交流之一瞥.1992年_04期 [8]、倉石厚子.中日饮食文化比较_兼论消费与经济观念.1997年_06期 [9]、吉牧.中日饮食文化的差异及其形成原因分析.2007年_01期 [10]、李直.中日饮食文化比较.2007年_05期 [11]、徐静波.试论日本饮食文化的诸特徵.2008年_05期 [12]、李莲花.中日饮食文化差异.2009年_17期 [13]、方海燕.从饮食看日本文化的特征_以中日饮食文化的关系为中心.2008年_04期 [14]、李建凤.《论语》中的饮食文化.2007年_04期 [15]、芦英顺.中日两国饮食文化的对比.2010年_03期 |