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要旨:小学校に入ってからもうじき大学を卒業するところまできて、振り返て見れば、皆と同じく試験に追われてきた。学生時代とは一日も試験と付き合わなければならない年月だと言っても言い過ぎではない気がする。入学試験、中間試験、期末試験は言うまでもなく、毎日のように小テスト、模擬テスト、実力テスト、それらの繰り返しだった。社会人になっても試験と無縁の生活を送ることができそうもない。入社試験、昇進試験、昇格試験、職業によっては国家試験、資格試験など、それらがなくてはいけないようだ。現代社会はまさに試験を中心にする社会であり、試験の時代といってもよいのだろう。試験は誠に大事なことだといえるだろう。 しかし、こんな大事な試験は一向にも人に好まれているから存在しているのではなく、むしろきらわれているようだ。そこが気になるところだ。なぜ嫌われがらも無くされないのか。そして、試験の存在は人間にとって、社会にとって果たして何の意味があるのか。試験の存在そのものは人々に否定されるところは否定されるべきなのか。本論文で自分を含む多くの人々の人生に関わっている試験の存在する理由について、考えたことを述べていきたい。 本論文は試験の起源、いままでの経過、問題点及び解決する方法、またその解決方法に対する筆者の考え、これから試験はどうなっていくのかなどの順にろんじるつもりだ。 キーワード:日本教育 学校 試験
しかし、先進諸国に追いつこうと努力を続けてきたいわゆるキャッチアップを一応達成したこれからの日本の教育に求められる課題として次の三つがとりわけ重要だと考えられる。[ 参考文献10 P396を参考 ] 第一は、創造的革新力のある人材を養成することである。国内生産コストが世界でももっと高くなった日本が、長期的な繁栄を確報するには前人未到の独創的な開発を進めることが不可欠であり、それを担える人材の育成は基本的な要請である。そうした人材に期待されるのは十分な基礎学力にくわえた独創性である。日本の教育システムが培ってきた大衆の基礎学力の高さは重要な資源であり、暗記や受験勉強の効用を過少評価すべきではない。この長所をふまえたうえで、横並びと過剰管理そして平準化志向を排し、個人の才能を伸ばすために自己責任に基づく選択の自由を思い切って拡大するシステム改革を工夫すべきだ。それは人々が何度でも挑戦できるようにやり直しができるシステムとして設計しておく必要がある。 第二は、社会にとって、また人間性にもドついて、何がしてよいことか悪いことかを自分で判断できる人々を育成することである。キャッチアップ時代には、教育のこの基本的使命が歪められ、あるいはなおざらりにされてきた、第二次世界大戦前はこの判断は官製の国家思想で制約され、戦後はその反動で国家や社会における価値判断そのものが遠ざけられた。これらはいずれもきわめて歪んだ姿であり、キャッチアップを超えた今日、よき社会とは何か、個人の責任とは何かを真摯に考える自由な教育を推進すべきである。 第三は、国際社会、人類、地球における共存の意味を考えられる人々を教育することである。戦後日本の教育はキャッチアップを重視するあまり、技術と経済を偏重してきた。これからは、視野を広げ、地球上の多くの民族や人々の歴史や文化そして多様な価値を理解できるよう幅広い教育を進めるべきである。
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